「シンプルになればなるほど、わたしたちはより完全になるのだ。」
フランソワ=オーギュスト=レネ・ロダン
典拠
「シンプルになればなるほど、わたしたちはより完全になるのだ。」(”The more simple we are, the more complete we become.”)という言葉の典拠は、ロダンの私設秘書を務めたイギリスの著述家アンソニー・マリオ・ルドヴィチ(Anthony Mario Ludovici)が1926年に出版した回顧録 『Personal Reminiscences of Auguste Rodin』 (J.B. Lippincott社) です。
本書は、1906年にロダンの秘書として日々の暮らしや制作現場に立ち会ったルドヴィチが、巨匠の日常の言葉や芸術哲学、対話の内容を記録した一次資料となっています。ロダンが直筆で書き残したアフォリズム(格言)ではなく、彼が口頭で語った生前の言葉(談話)が英語に翻訳されて収録され、それが世界中に名言として広まりました。
フランス語の原文(あるいは本来のニュアンス)について、ロダンは「余計な虚飾やエゴを削ぎ落とし、自然体でシンプルになることこそが、芸術家としても人間としても真の完成(成熟)へ至る道である」という文脈でこの言葉を語ったとされています。
(釋圭悟:書)
味わい
この言葉は、彫刻家であるロダンが塊から余計な部分を削り落として本質を彫り出すように、人間もまた見栄や欲、過剰な装飾を捨てて「引き算」をしていくことで、人間としての純度が高まり真の完成に至るという意味を持っています。ここで言うシンプルとは、未熟な単純さではなく、多くの経験を経て本当に大切なものだけが残った「究極の洗練」や「ありのままの自然体」のことです。人は自分を複雑に飾り立てがちですが、本当に豊かで完全な状態とは、無駄を削ぎ落とした先にあると説いています。
そして、浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、人間が自らの力や修行、知恵によって救われようとする心を「自力(じりき)」と呼び、その虚栄心を捨てることを説かれました。自分をよく見せようとするプライドや「自分の力で善を成している」という独りよがりの計らい(知恵)を徹底的に削ぎ落とし、完全に無力でありのままの素の自分(シンプル)に立ち返ったとき、初めて阿弥陀如来の絶対的な救いの力(他力)に身を委ねることができるという教えです。
何かを付け足して立派な人間になるのではなく、徹底的な「自己の引き算」の果てに人間としての真の救いがあるという構造が、ロダンの思想と深く共通しています。
さらに、親鸞聖人がもっとも大切にされたのは、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と口に称(とな)える念仏の教えです。複雑な戒律や厳しい修行、難解な経典の知識といった、人間の側が付け足した装飾をすべて不要とし、もっとも「シンプル」化された一つの行為の中に、仏教としての「完全」な救いがすべて凝縮されているという点も、まさにロダンの言葉の真髄を体現しています。