浄願寺のブログへようこそ。
このページを開いてくださったあなたと、下記の法語を一緒に味わっていけたらと思います。
一期一会
典拠
この言葉自体は日本の茶道文化(千利休の言葉を元に井伊直弼が著書『茶湯一会集』で示し広まったとされる)に由来するものであり、お釈迦さまの言葉として経典にそのまま刻まれているわけではありません。
しかし、お釈迦さまはさまざまな教えの中で、「すべてのものは絶えず移り変わり、二度と同じ瞬間は訪れない」という「諸行無常(しょぎょうむじょう)」の真理を説かれました。
私たちは日々、同じような朝を迎え、同じような日常が繰り返されていると思いがちです。しかし、今この瞬間に出会っている人、起きている出来事、流れる時間は、二度と戻らない一度きりのものです。
「一期一会」という言葉は、そうしたお釈迦さまの説かれた無常の教えを、現代の私たちが日常で味わえるように表現したものと言えます。
(釋武尊:書)
味わい
私たちは、日々の忙しさの中で、目の前にある時間や人間関係を「あたりまえ」として通り過ぎてしまいがちです。
毎日顔を合わせる家族や職場の同僚、あるいは今日たまたま同じ電車に乗り合わせた人。
「明日もまた会える」「いつでもやり直せる」と思いながら生きていることが少なくありません。
けれど、本当はどの瞬間も、一度として同じ条件で訪れることはありません。
昨日と同じように見える会話も、お互いの体調や心の持ちよう、置かれた環境は日々少しずつ変わっています。
二度と巡ってこない「今」を雑に扱ってしまうのは、後になって「もっと大切に過ごせばよかった」という後悔や寂しさ(執着)を生む原因にもなります。
「一期一会」とは、決して「一回きりだから特別なおもてなしをしなければいけない」と身構えることではありません。
「今、目の前にいる人や時間に、真摯に向き合う」ということです。
浄土真宗では、阿弥陀如来は、立派に時間を使いこなせる人や、完璧な人間関係を築ける人だけを救う仏さまではありません。
つい大切な人の存在を忘れて愚痴を言ってしまう私も、一瞬一瞬を大切にできずに時間を無駄にしてしまう私も、そのまま見捨てることなく「あなたをそのまま救う」と願い続けてくださる仏さまです。
「この命も、この出会いも、あたりまえのものではない」
阿弥陀さまの温かな視線の中でそのことに気づかされたとき、今目の前にいる人への接し方や、今日という一日への愛おしさが自ずと変わってくるのではないでしょうか。
すべての瞬間が二度とない出会いだからこそ、飾る必要も、焦る必要もありません。
今日巡り合ったこのご縁、この時間を大切に、私に与えられた「今」を歩ませていただきましょう。